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2009年 01月 01日
Salon de thé au col
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2008年12月31日大晦日、朝から学生たちと「峠の茶屋」の荒壁づくりにとりかかり、なんとか一層目を塗り終えて竹小舞を隠した。
これでやっと年が越せる。⇒関連サイト PLUS blog

京都第2外環状道路の建設のために、僕の務める京都芸大のある西山一帯の里山の風景が破壊されつつある。地元の当事者ではないので反対運動などできないが、美術に関わる身として何かできないかと、2004年から担当する芸大の授業に取り入れ、それが「大枝アートプロジェクト」に発展した。

このプロジェクトが始まる前から何かと地域のことを取材させてもらっている農家の大藪さんの民家が、側道建設のために全面撤去になる。
だが、大藪さんの家は江戸時代からこの地にあり、特に南側の土塀は練り土積みの古い工法でできていて、とても魅力的だ。奥の九社神社の参道入口にあって、このエリアの静かな里山の風景の決めての一つだった。

それで、7月に行った「みどりの停留所」展でこの「土塀の延長」を提案する「峠の茶屋計画」を発表した。廃材でつくった仮設の茶屋は展覧会後すぐ撤去したが、大藪さんや学生らの賛同を得て、夏に再築に着手した。

つくるにあたって、常々考えていた条件を設定した。それは、「素材・技術・制作物の循環」ということ。
素材はすべて大枝の土地のものを用いること、木材や石材も道路工事のためにこわされた家の廃材などを再利用すること、技術も土着の技術を研究・応用することなど、だ。言い換えれば、原則としてモノを買わない、お金を使わないということだ。
そしてつくるプロセスをできるだけオープンにし、多様な人間が構想段階からも関われるようにする、技術をシェアするなど、「オープンテクノロジー」の基本を大事にすることだ。
これらの条件は「美術の根源と位置を測り直す」ためのものでもある。

こうして土は、道路工事で削られていた竹林の端の赤土を業者に大量に分けてもらい、ワラは大藪さんの田んぼからいただいた。木材は、解体された家の梁や大原野神社の古い敷居、竹や銀杏の自然木は、大原野の大工さんからいらなくなったものをもらい受けた。

とくにこだわったのは土壁だ。9月にアフリカのマリに行って、土と泥で出来た家や村、モスクを見てきた。泥から人の住まいがたちあがり、また泥に還る。日本の洗練された左官仕事とは位相がちがう。最高だと思った。

とはいえ、みな素人だし、作業は授業の関係から原則として木曜午後だけという設定だったから、土壁づくりは予想の倍以上の時間がかかった。大藪さんの店先の駐車場の一部につくらせてもらっているので、作業の遅延ぶりがこのところずっと気掛かりだった。年内になんとか南側の壁を壁らしくしなければ、と少しあせっていた。

学生たちもその気持ちを共有してくれたのか、師走も押し詰まったなか、全員がかけつけてくれた。12月28日に荒々しくも竹小舞を仕上げ、31日は朝から土運びと土練り、そして左官に取り組んだ。なんとかかたちを整えた塗り残しの円窓は、参道入口の燈篭のある風景をうまく切り取ってくれた。

まわりの家がどんどん取り壊され、大藪家が孤立していくなか、300年前からある土塀が逆に延長されていく。
巨大テクノロジーで変貌する里山の風景と、手と身体の原始的技術でゆっくりたちあがっていく峠の茶屋の対比。この感覚は未知のものだ。
2009年、永遠に未完の峠の茶屋が大藪家とともに取り壊されるとき、われわれのなかにどのような風景が残るか、それを目指して作業はまだまだ続く。
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by peuleu2 | 2009-01-01 00:52 | アート


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