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カテゴリ:その他( 10 )
2010年 02月 03日
Monsieur Numba décédé
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難波道弘氏が、2010年2月3日午前2時頃、亡くなられた。
夕方、岡山の小野和則さんから電話で連絡が入った。
しばし、その場に立ち尽くした。

難波さんは、おそらく近代日本の最後の経済人にして茶人、美術愛好家、目利きといえる人物。
そして、そもそもの僕の美術活動の終生のテーマ「時間のレッスン」も、難波さんとの出会いから生まれた。
パリから帰国後再開したこのブログも、難波さんの工場から始まる。

難波さんのまわりでは、寛次郎の陶器も、ガラクタのおもちゃも、万物が等価にそれぞれの余生を楽しんでいた。
そして、難波さんは、80余歳を越えてなお、疲れを知ることなく、無限に泳ぐことができた。
その姿は、僕に、美術でやるべきことを示唆してくれた。

17年前の初個展といえる「時間のレッスン」は、外見は難波さんのコレクション展のかたちをとりながら、内実はすべてを意味と価値の無政府状態に送り込むインスタレーションだった。僕は、美術だけでなく、この世の外に出ようとしていた。

   この展覧会は
   ある茶人にして蒐集家のN氏の協力を得て
   人・モノ・作品を問わず
   万物が等しくその中に浮かぶ時間についての
   ささやかなレッスンとして
   構成される


難波さんは、僕の乱暴な申し出を快く受入れて下さり、展覧会後は、染織工場跡を小野和則さんといっしょにアトリエとして使わせて下さった。そのおかげで、僕は岡山時代を生き延びることができた。

元気な難波さんと最後にお会いしたのは、2008年5月に小野さんが企画した茶会のときだった。

今はただ、あの世をまたも延々と泳ぐ難波さんの姿を思うしかない。




by peuleu2 | 2010-02-03 23:59 | その他
2009年 11月 09日
cabane de paille
11月6日、科研の申請書をなんとか書き上げて提出する。

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11月7日(土)、藁集めの続きと、藁小屋の手直し。
この時期しかとれないので、ちょっとあせりながら、大五さんの田んぼから、車いっぱいに4杯ぐらい運んだか。
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芸大の丘の上、「つちのいえ」の傍らに、とりあえず掘っ立てた小屋に藁をつめる。
機械で刈り取った直後に束ねればきれいなのだが、手で集めて束ねるので、積み重ねても美しくない。
藁は、水に濡れなければ一年ぐらいは持つと、お百姓さんから聞いた。
来年夏の近美での「生存のエシックス」展で制作予定の土壁に使うだが、
こうしてみると、まだ足りない気がする。
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足りない気がしたので、小屋を30cm高くし、その後も時間をみつけて藁を集め続ける。
11月26日、とりあえず小屋いっぱいになる。
これで足りるかな・・・
by peuleu2 | 2009-11-09 03:18 | その他
2009年 07月 14日
revoir Chiaki Mukai
7/13(月)、JAXAの宇宙飛行士の向井千秋さん(現在は、宇宙医学生物学研究室長)に面会に、つくば宇宙センターに行く。同僚の髙橋悟さん、京大医学部人間健康学科の十一元三教授と同行。東京駅八重洲口からハイウェイバスで約1時間。

現在、髙橋さんを中心に進めている、人間健康学科と、われわれ京都芸大の美術家のあいだの共同研究に、向井千秋さんも参加してもらおうということで、研究内容のプレゼンを行うことが目的。ようやく実現した面会だった。

前日にAAS以来の研究の図式をA4用紙1枚にコンパクトにまとめ、それを説明に使う。
髙橋さん、十一先生の説明も適確で、向井さんにもわれわれの共同研究に興味をもってもらうことができ、16〜17時という面会の予定時間を40分近くオーバーした。

向井さんとは数年ぶりの再会。覚えていてくださった。2005年だったか、彼女を含む宇宙飛行士とわれわれ美術家とのインタビュー集を、科研の助成をもらって出版したことがある。向井さんの宇宙体験の話は、なんど聞いても面白い。創作のヒントの山。向井さんも話がつきないといってくれる。
でも、彼女はもっか業務でがんじがらめだ。共同研究までいくのはむずかしそう。なんらかの対策が必要。

帰り、京都駅で森口ゆたかさん(ゆったん)とばったり出会う。久しぶりだった。
by peuleu2 | 2009-07-14 11:39 | その他
2009年 06月 14日
concert et symposium
6/13(土) 京都アートコンプレックス1928で、デザイン面で関わったクラムジカClumsicaの第1回公演。昨年は海外にいて聴けなかった。
プログラムはあいかわらずものすごい文字量で、紙面に納めるのがたいへんだったが、まにあってよかった。途中でフォーマットを巻三つ折りに変えたので、改行をひとつミスしてしまった。

作曲家の中村典子さんから頼まれるまま、チラシの原画を貸したら、会場受付の机の上に展示してあった。会場内で中村さんから観客に紹介され、たちあがって会釈する。こういうの、恥ずかしい。
増田真結さんの『プロブレマティカ』の演奏のとき、最前列の僕の目の前で、増田さん自身がタクトを振った。現代音楽でこういうライブ感が体験できるとは。

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6/14(日) 国立民族学博物館で、シンポジウム「"千家十職×みんぱく"展を解剖する」に出席する。
一緒に「具、具ッ!」展を担当した染織のひろいのぶこ先生が発表するので、彼女の発表のときだけ顔をのぞけようと会場に入ったら、僕の席が名札付きで用意されていた。しかたなく、与えられたテーブル席につくはめになる。

シンポジウムの趣旨は、千家十職の作り手たちや、京都芸大、関西のさまざまな博物館と連携した今回の試みについて「評価」することにあるとか。シンポジウムというより、研究会の雰囲気。
博物館の研究員や美術館学芸員の人が大半なので、議論はどこか向こう岸の世界の話に聞こえる。
博物館はなんでもっとものづくりの世界と連携しないのか? ミケランジェロはローマの遺跡の中で制作したはずだ。「博物館を創造の場に」という掛け声は、「千家十職×みんぱく」企画者の八杉先生には申し訳ないが、当たり前の話で、今ごろ言うのはおそい気がする。

ともあれ、春から引っ張り回された総合基礎第2課題がこれで万事終了。土・日休日のない労働の連続だった。
by peuleu2 | 2009-06-14 23:20 | その他
2009年 06月 08日
épigramme du thé
6/7(日)、昨日、クラムジカのプログラムを出稿して、ちょっと身軽になった気分もあったからか、「具、具ッ!展」搬出後、となりの大阪日本民芸館で、春季特別展「茶と美—柳宗悦 茶を想う」を見学する。
1955年に日本民藝館で行われた「第1回民藝館茶会」の復元展示とか。

柳宗悦の民芸論は、どこか教条的なにおいがあって、好きではなかった。
が、会場に掲げられていた彼の茶偈(茶会のときに掲げる教訓的な韻文?)には、
はっとさせられるものがあって、思わずメモする。

・如何ナルカ 是レ茶 陀羅尼

・茶ニテアレ 茶ニテナカレ

・茶ノミ 茶カハ

・茶アリテ 茶ナキ 之ナン茶

・扉アリ 入ルヤ 出ヅルヤ

「陀羅尼」というのは、言葉ならざるもの、言葉にならないもの。
言葉にならないときは、「陀羅尼」と言えばいいと知った。
こういう感覚、忘れていた。久しぶりに仏教気分。万事万象、陀羅尼。

・・・
その後、芸大に戻って、ひとりでPLUSの作業小屋の骨格を組み直す。
椎原保、高橋悟両氏がぐうぜんやってくる。

帰り道、オレンジ色の大きな月を見た。
by peuleu2 | 2009-06-08 01:15 | その他
2009年 06月 06日
outil-outil
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人類は、地上で生きるためにさまざまな「道具」をつくってきた。衣食住からコミュニケーション、あの世と関わるものまで、さまざまな道具とそれらによってつくられたものが、人間の生きる世界を構成している。
美術作品(美術・工芸・デザイン活動も含む)を人間の身体や精神にかかわる「道具」として定義し直すこと。展示は、その道具を一時宙吊にして、ありさまと可能性(道具とそれを使う人間の)をみつめる機会にほかならない。。。。

などと、あまり深く考えることなく、仮定してしまう。

5/28(木)、新型インフルエンザ流行で開催があやぶまれていた「具、具ッ!—京都芸大Xみんぱく」展が、ようやく始まった。チラシも学生らのアイデアを卵に貼り込んで作り直した(みんぱくが、また裏に特別展の情報も載せたいというので、印刷代を出してもらった)。
地下会場なので、人の入りはそう期待できない。でもまあ、新入生たちの視線のありかと、彼らのつくった道具以前・作品以前のものが並ぶ会場は、京都芸大の美術教育の現場が露出した、めったにみられない光景を呈していることはたしかだ。
というか、その課題を出した自分がさらしものになっているといえるかもしれない。

搬出は6/7(日)。それまで何ごとも起きませんように。

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6/6(土)、晴れ。「具、具ッ!展」最終日なので、みんぱくに行った。
会場で何より驚いたのは、学生の作品の一部だった木の枝に、カマキリの卵がついていて、たくさんカマキリの赤ちゃんが生まれ、あちこち這い回っていることだった。

歳時記カレンダーによれば、いみじくも6月6日は七十二候のひとつ「蟷螂生(とうろうしょうず)」。カマキリが現われはじめる頃という。旧暦5月14日で旧梅雨入りでもあるらしい。

蟷螂の赤子に千家十職お茶苦し
by peuleu2 | 2009-06-06 23:30 | その他
2009年 05月 17日
espace sous-sol
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5/16(土)、「具、具ッ!—芸大Xみんぱく」展の搬入。運送はマルイ。運転手は旧知の細川さん。
朝8時に積み込んで、9時出発、10時にみんぱく着。
合評後、学生は一部を残して帰したが、展示作業は夜8時すぎまで続く。
吊るのも多いので、高い脚立に乗っての作業はぼくら男性教員の仕事。
「あれがあぶない、これが危険」「なんで2日前から展示にかからない? 火曜日朝に館長チェックするから出てきなさい」と副館長にどなられる。

5/17(日)、展示修正のため、朝9時に一人でみんぱくへ。学芸の宇治谷さんから、インフルエンザ対策のために一週間ほど休館することになったと告げられる。
なぜかほっとしながら、作品の手直しにやってきた学生や非常勤講師らと作業する。
脚立で高いところにあがってワイヤーなど吊っていると、急に咳が出てとまらなくなる。
インフルエンザ? まさかね。

新型の豚インフルエンザは、5月16日20時の時点で神戸で3人、18日11時の時点で、兵庫・大阪だけで130人に急増。おそらく1000人以上がすでに感染しているらしい。
本格的な鳥インフルエンザ来襲の予行演習のように、大騒ぎになっている。
それより、この秋に、今の潜伏した豚インフルエンザがどのように進化して猛威をふるうか、だ。

振り回されながらなんとか実現までこぎつけた総合基礎展だが、まぼろしの展覧会に終わる可能性もある。それも悪くない。
地下会場は部屋ではなく、ピロティになっていて、強い風が吹き込む。そんな空間に、作品を貼ったり吊ったりして、無事にすむわけがない。業者が目隠しに貼った暗幕が風をはらんで、大きく膨らみ、衝立を動かす。
みんぱくの人間もわれわれも、人為を越える自然の力を理解していない。
僕自身、どこか協力者的意識があったために、見極めが甘かった。

ともかく、われわれ人間どもの思惑通りに事が運ばないのは、いいことだ。
どれほど人間世界が膨張しても、しょせん自然にはかなわない。自然とはエントロピーだ。
目を閉じて、洪水を思い浮かべる。
忘れかけていたが、ここが僕のアートの原点。
by peuleu2 | 2009-05-17 23:29 | その他
2009年 05月 05日
chambre noire
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5月5日、約12年ぶりに暗室を復活する。
以前、借家に住んでいたときは、風呂のある離れにカーテンをつるしてつくっていた。
「瞬間移動」の写真作品を焼いたのが最後。

担当している芸大の総合基礎の課題で、ピンホールカメラにつきあわされることになったからだ。
リーダーの先生が経験がないというので、急きょ助っ人にならざるをえなくなる。
貧乏くじばかり引いているが、こんなことでもないと暗室は物置のままだっただろう。

酢酸のにおいがなつかしい。

・・・・・
即興でつくった空き缶式ピンホールカメラに印画紙を装填。
密着でポジを焼くのはめんどうだったので、スキャンしてデジタル化する。

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by peuleu2 | 2009-05-05 23:00 | その他
2009年 04月 30日
Documents
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アートプロデューサーの橋本敏子さんが、生活環境文化研究所/文化農場の活動をまとめた記念CD+DVD「いづれでもないもの・どこにでもありうること」を出版した。
CDの方は、橋本さんらが実践してきたアートプロジェクトやプロデュースをまとめたもので、DVD は、アートプロジェクトを巡って橋本さんの対談をおさめたもの。対談相手は、上野千鶴子(社会学者)・石井純(パナソニック)・中村政人(美術家)・鷲田清一(哲学者)の諸氏、それに僕。
編集とデザインは、recipの久保田テツさんと丸井隆人さん。
去年の夏に電話がかかってきて、この春で会社の活動に終止符をうつので、記念集をつくるのに協力してほしい、と頼まれた。それで、本当に久しぶりに橋本さんの事務所を訪ねた。

思えば、岡山時代の1994年、自由工場をアサヒビールの加藤種男さんらといっしょに訪ねて来られたのが初対面だったか。訪問目的は、地域での現代美術活動の調査で、この年にできた財団法人地域創造の調査活動の一環だったと記憶する。
地域社会のなかでアーティストが活動する際にほしいものは何か、ときかれて、端的に「理解とお金」と答えたように思う。

その後、橋本さんらの活動は、もともとの都市計画のコンサルティングを越えて、現代美術を都市空間や生活空間のなかに導入していくことに傾いていった。アートプロジェクトの記録と普及を財政的に支援する「ドキュメント2000」なども彼女らの企画だったし、僕自身も関連するシンポジウムやワークショップ、本の出版にいくつかかかわった。

この15年のあいだに、日本の美術環境はそれなりに変わった。画廊や美術館だけでなく、地域社会のなかで活動するアーティストも増えたし、アートNPOもたくさん生まれた。大枝アートプロジェクトが助成を受けたアサヒ・アートフェスティバルも、1990年代の地域とアートをつなぐ活動を背景にしている。
橋本さんは、そういうアートの動きに並走し、ときに自ら流れをつくりだそうとするお母さんのような人だった。アートマネジメントとかいう(僕の苦手な)言葉が定着する前の時代のことだ。今の若い人たちの中には、彼女らの活動を知らない世代も多い。

橋本敏子さんの新しい船出を拍手で見送りたい。
by peuleu2 | 2009-04-30 12:00 | その他
2008年 12月 26日
Kurashiki
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12月24日(水)17:26、倉敷芸術科学大学の裏山から水島方面をのぞむ。
暮れなずむ風景に浮かび上がる光が美しい。
水島の夜景は神戸と並び称されるくらいきれいなのだと学生が言った。

12月22日(月)〜24日(水)、同大学のメディア映像学科の近藤研二先生から依頼された集中授業。「メディアアート論」という、僕には興味のない分野の科目名だが、なんでもいいから学生たちにアート系の発想にふれさせてやってほしいということで呼ばれた。フランスに行く前の2006年夏に続いて二回目の倉敷遠征。
近藤先生は18年前、岡山大学教養部で美術の教員をしていたときにいろいろお世話になった人なので、断れない。当時、近藤先生は岡山職業訓練学校で工業デザインを教えていて、よく僕の研究室に遊びにきては、デザイン系のソフトのコピーをくれた。特に自由工場時代は、いただいたCanvasというドンブリソフトをよく使った。

倉敷に発つ前日、PowerMacG4の増設内蔵HDがこわれ、ほとんど準備のないまま授業を迎えるはめになった。受講したのはメディア映像学科の3・4回生50名ほど。
一日目は自分のこれまでの作品やプロジェクトを紹介してなんとかやりすごし、その夜、近藤先生宅で夕食をよばれて雑談しているときに「めぐる」という課題のアイデアがまとまる。——「キャンパス内で"おもしろい"と思う場所を映像や言語、絵図などなんらかのメディアを用いて表現しなさい。それぞれの場所に独自のしつらえをほどこし、第○○番札所として巡礼して回りましょう」。
残りの二日間はその課題制作と発表。上の写真は第一番札所()。

思いつきの課題、というのは教育ではよくないことかもしれないが、どたんばで思いつきが出なくなれば自分に創作活動はもう無理だと言い聞かせている。学生には申し訳ないが、僕はいつまでたっても教師としての自覚がない。ただ、瞬間のひらめきや妄想の力を信じ、日常を変換するささやかな術を求める人に、何かを手渡せるならそうしたいだけだ。

学生の反応はさまざまだったが、日常の価値体系をゆさぶる美術の役割や可能性に気づいてくれた者もいたと思いたい。
美術を開放系技術(オープンテクノロジー)として再編できないか——そんなことを夢想する。

倉敷での授業のあと、岡山の表町商店街にあるアートリンクセンターを初めて訪れ、真部剛一君、田野智子さんに会う。なんだか元気はつらつとしている。岡山も変わった。深夜、長岡京に戻る。
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by peuleu2 | 2008-12-26 01:36 | その他