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2010年 02月 24日
déplacement de la terre 003
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やはり「動く土・リサーチプロジェクト Moving Earth Research Project/MERP」を正式に始めることを決意。

昨秋、科研に応募するときに思いついたアイデアだが、やはり面白いと確信するようになった。
自分の中でリアリティを持つようになったということだろう。
どう作品に結びつくのかわからないが、当分続けていって、得るものはあるような気がする。

科研、とれたら弾みがつくのだが。
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MERP 003
place: 34°58'N, 135°39'E(京都市西京区大枝沓掛町)
date: 2010/02/24
by peuleu2 | 2010-02-24 23:59 | 動く土
2010年 02月 20日
déplacement de la terre 002 / trace de l'eau_2
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2月15日(月)、疏水事務所にて、19日の第一トンネル撮影について、岡本所長と打ち合わせ。
撮影の日程と場所、段取りを決める。
岡本所長に第一竪坑の案内板のデザインの相談を受ける。
これはまた引き受けねばなるまい。

事務所横の運河に、土嚢がずらりと積まれていた。岩壁補修のため、水をせき止めているという。
このところずっと、大地から切り離された土のゆくえが気になっている。
やはり、フォークリフトだけでなく、ユンボの運転資格も取る必要があるか。

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MERP 002
place: 35° 00'N, 135°46'E(京都市左京区聖護院蓮華蔵町35)
date: 2010/02/20


d0141644_2221048.jpg第一疏水第一トンネルへの水路。
水が少し残っている。
19日、ここに撮影に入る。

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2月19日(金)午前10時。
ロンドンのRCAから来た美術家・デザイナーチーム4名を含め、総勢13名の調査隊。ほかに水道局の美人職員さんもいっしょ。
第一トンネルは全長2400m。直線のため、出口の光が見える。
疏水事務所の岡本所長と足立係長がフォローしてくれる。
なんともありがたい。

近代都市基盤となった明治期の治水系土木遺産に入るのは、神戸の湊川隧道(1901年8月竣工)に次いで、これで2度目。
そういえば、湊川隧道との出会いとなった新開地アートブックプロジェクトは、いみじくも「まちの地質調査」を使命としていた。自分から言い出したわけではないが。
「芸術」などの文化の上澄みより、それを生み出す基盤や構造に魅かれるのは、どうしようもない性分なのだろう。だから仕事が地味なのだ・・・


by peuleu2 | 2010-02-20 02:43 | 動く土
2010年 02月 14日
terrain vague au centre de Nara
2月14日(日)、思い立って、奈良に行く。
展覧会を頼まれている高市俊子さんのギャラリー予定地と、「紀寺借家なおし展」を見るためだった。
奈良では今年、遷都1300年祭があるそうだが、財政難なのか、さほど盛り上がっているようには見えない。悪いことではない。
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ギャラリー予定地。西寺林町。
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「紀寺借家なおし展」は、古材文化の会が主催。朽ちた木造の廃屋を古材を活かしつつ修復し、歴史的景観を守ることをアピールする催し。
修理や修復への関心が、建築ー景観ーアートー暮らしをゆるやかに結びつける時代。
一昔前だと、同じような廃墟で展覧会などやると、建築やアートがアグレッシブに自己主張していたものだ。
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高市さんの案内で、奈良町をはじめて巡る。
銭湯が売られている。
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新建材の住宅や店舗のあいだに、古いトタンや漆喰壁が、遺跡のように顔を出す。
2年前に住んでいたパリの石積みの街並みとはなんと異質なことか。これが僕らの文化。

d0141644_1514052.jpgいい感じの赤い垂直線をみつけた。


by peuleu2 | 2010-02-14 23:55 | 観察
2010年 02月 08日
mort d'une maison "Hi-en-sou" par Tougo Murano
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2月7日(日)、村野藤吾(1891-1984)による名高い戦前の住宅建築「比燕荘」が、この日、息を引き取った。

「比燕荘」は、京都の百貨店「丸物」の創業者・中林仁一郎の邸館として、1941(昭和16)年12月に建てられた。設計は村野藤吾、施工は清水組(現・清水建設)で、棟梁は数寄屋の大工として名高い中村外二。

椎原保さんの昔の同級生が村野藤吾のお孫さん(建築家・波多野文夫氏)で、椎原さんから中林さんを紹介され、解体前の屋敷をビデオ撮影することになった。撮影には、1月27日、2月6日、2月7日の計3日通った。

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比燕荘は、見どころはいっぱいあるが、一番気に入ったものの一つは、防空壕としてもつくられた地下室の自然光照明。
丸いガラスブロックが庭側の床下に埋め込まれ、そこから光を取り入れるようになっている。
電気が切れたときのためにも、発電機がある。
戦時中に建てられたということもあり、この地下室ほか、壁面すべてに防炎用の平瓦を貼り巡らした特異な防災住宅になっている。
壁や柱も大事に保存され、半世紀以上、一度も補修の手が入ったことがないのが信じられないくらい、傷みも少ない。品格のある中林家の生活がしのばれる。

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7日は、10時すぎから、かつての上棟式のときに掲げた棟札(むなふだ)と幣串(へいぐし)を下ろす儀式があった。
上棟式とは逆のこの儀式、なんというのか知らないが、今ではめったに行われることはない。
それだけの値打ちのある特別な住宅だと、棟梁の工藤一男氏がいう。
驚くべきことに、棟梁はノコギリで釘を切り、バールで木の表面に触ることなく静かに60年前の釘を抜いた。
なんだか、すばらしいものを見せてもらった気がする。
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中林さんから、燕を頭にあしらったネジをいただいた。
比燕荘の形見のひとつ。大事にしたい。
by peuleu2 | 2010-02-08 03:18 | 観察
2010年 02月 07日
neige et sculpture
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2月7日朝、雪。
雪は、溶けはじめたころが一番不思議で美しい景色を見せてくれる。

自宅の手づくりデッキに、2007年につくった金属彫刻の「打つわ」を放置している。
「放置」したものを観察するのが気に入っている。
この朝も、じつに美しかった。

七十二候で、立春(2月4日)の初候を「東風解凍」(東風が厚い氷を解かし始める頃)というらしい。

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そういえば、小清水漸先生の東京での個展「雪のひま」は、なんとも美しいタイトルだった。
1月23日の初日に東京画廊をおとずれたとき、山本さんからその日のお茶会に出すという、オリジナルの和菓子をひと足先にいただいた。
それも雪の下に埋もれたものを見せるものだった。
一度、和菓子で作品をつくってみたい。和菓子は風景の造形である。

とはいえ、唯美主義とは一線を画していたいが。
by peuleu2 | 2010-02-07 20:21 | 観察
2010年 02月 03日
Monsieur Numba décédé
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難波道弘氏が、2010年2月3日午前2時頃、亡くなられた。
夕方、岡山の小野和則さんから電話で連絡が入った。
しばし、その場に立ち尽くした。

難波さんは、おそらく近代日本の最後の経済人にして茶人、美術愛好家、目利きといえる人物。
そして、そもそもの僕の美術活動の終生のテーマ「時間のレッスン」も、難波さんとの出会いから生まれた。
パリから帰国後再開したこのブログも、難波さんの工場から始まる。

難波さんのまわりでは、寛次郎の陶器も、ガラクタのおもちゃも、万物が等価にそれぞれの余生を楽しんでいた。
そして、難波さんは、80余歳を越えてなお、疲れを知ることなく、無限に泳ぐことができた。
その姿は、僕に、美術でやるべきことを示唆してくれた。

17年前の初個展といえる「時間のレッスン」は、外見は難波さんのコレクション展のかたちをとりながら、内実はすべてを意味と価値の無政府状態に送り込むインスタレーションだった。僕は、美術だけでなく、この世の外に出ようとしていた。

   この展覧会は
   ある茶人にして蒐集家のN氏の協力を得て
   人・モノ・作品を問わず
   万物が等しくその中に浮かぶ時間についての
   ささやかなレッスンとして
   構成される


難波さんは、僕の乱暴な申し出を快く受入れて下さり、展覧会後は、染織工場跡を小野和則さんといっしょにアトリエとして使わせて下さった。そのおかげで、僕は岡山時代を生き延びることができた。

元気な難波さんと最後にお会いしたのは、2008年5月に小野さんが企画した茶会のときだった。

今はただ、あの世をまたも延々と泳ぐ難波さんの姿を思うしかない。




by peuleu2 | 2010-02-03 23:59 | その他