2008年 12月 26日
暮れなずむ風景に浮かび上がる光が美しい。 水島の夜景は神戸と並び称されるくらいきれいなのだと学生が言った。 12月22日(月)〜24日(水)、同大学のメディア映像学科の近藤研二先生から依頼された集中授業。「メディアアート論」という、僕には興味のない分野の科目名だが、なんでもいいから学生たちにアート系の発想にふれさせてやってほしいということで呼ばれた。フランスに行く前の2006年夏に続いて二回目の倉敷遠征。 近藤先生は18年前、岡山大学教養部で美術の教員をしていたときにいろいろお世話になった人なので、断れない。当時、近藤先生は岡山職業訓練学校で工業デザインを教えていて、よく僕の研究室に遊びにきては、デザイン系のソフトのコピーをくれた。特に自由工場時代は、いただいたCanvasというドンブリソフトをよく使った。 倉敷に発つ前日、PowerMacG4の増設内蔵HDがこわれ、ほとんど準備のないまま授業を迎えるはめになった。受講したのはメディア映像学科の3・4回生50名ほど。 一日目は自分のこれまでの作品やプロジェクトを紹介してなんとかやりすごし、その夜、近藤先生宅で夕食をよばれて雑談しているときに「めぐる」という課題のアイデアがまとまる。——「キャンパス内で"おもしろい"と思う場所を映像や言語、絵図などなんらかのメディアを用いて表現しなさい。それぞれの場所に独自のしつらえをほどこし、第○○番札所として巡礼して回りましょう」。 残りの二日間はその課題制作と発表。上の写真は第一番札所(*)。 思いつきの課題、というのは教育ではよくないことかもしれないが、どたんばで思いつきが出なくなれば自分に創作活動はもう無理だと言い聞かせている。学生には申し訳ないが、僕はいつまでたっても教師としての自覚がない。ただ、瞬間のひらめきや妄想の力を信じ、日常を変換するささやかな術を求める人に、何かを手渡せるならそうしたいだけだ。 学生の反応はさまざまだったが、日常の価値体系をゆさぶる美術の役割や可能性に気づいてくれた者もいたと思いたい。 美術を開放系技術(オープンテクノロジー)として再編できないか——そんなことを夢想する。 倉敷での授業のあと、岡山の表町商店街にあるアートリンクセンターを初めて訪れ、真部剛一君、田野智子さんに会う。なんだか元気はつらつとしている。岡山も変わった。深夜、長岡京に戻る。 #
by peuleu2
| 2008-12-26 01:36
| その他
2008年 12月 21日
裏の新古住宅が、ついに売れたようだ。
僕の家の裏側には美しい竹林があった。それが2005年に宅地開発で破壊され、密集した新興住宅群が立ち並ぶようになった。やったのは悪名高き洛西建設。 自宅兼アトリエはもともとその竹林を借景に設計したので、竹林がなくなると家の中がむき出しになる。それで、隣接住宅地からの視線をさえぎるため、2006年8月末からの一ヶ月、高さ3メートルの塀とデッキをめぐらす工事を一人でやった。一年間、僕が文化庁在外研修で不在になるあいだ、その家をどういう人間が買おうともプライバシーを守るためだった。 だが意外にも、開発地のほかの新築が次々売れていくなか、その物件だけが二年以上、売れ残っていた。新築が一年以上売れないと「新古住宅」と呼ばれるものになる。 何しろ裏にまわると黒々とした高い塀がおっ立ち、何やらあやしい作業の音が聞こえる立地だ。ざまあみろ、と思っていた。ただ不安だったのは、いつまでも売れ残ると、また更地にされて業者に買い取られ、3階建てが新築されかねない、ということだった。 ところが、つい先日、屋根の天窓を業者が拭いているのを見て、あれ、と思った。そして次の日から部屋の中に明かりがともり、誰かが住みはじめた。 ともかく2004年から4年続いた隣接竹林開発問題が、これでようやく一件落着となったわけだ。 #
by peuleu2
| 2008-12-21 17:50
| 観察
2008年 11月 28日
矩庵は、四条富小路を下った徳正寺の内庭にある。設計は藤森照信氏、施工は住職をつとめる陶芸家の秋野等さんがほとんど一人で行ったという。 煎茶でわれわれをもてなしてくださった秋野等さんは、日本画家・秋野不矩さんの末っ子で、京都芸大陶磁器科の出身。同じく藤森氏が設計した天竜市の秋野不矩美術館の施工にも関わったという。徳正寺は路上観察探偵学会の京都での活動拠点だったというから、藤森氏と秋野家は長いつながりがあったわけだ。いっしょにわれわれを迎えてくださった奥様もたいへん明るいお人柄。 秋野等さんから、秋野不矩先生が最晩年、アフリカのマリに土の建築をたずねて旅をされたことを聞いた。絵も好きだったが、その好奇心と行動力に、あらためて不矩先生に共感を覚えた。 僕自身9月にドゴンを旅したこともあって、秋野等さんご夫妻とはたちまち話がはずんだ。秋野等さんご自身も、専門の陶磁器だけでなく、金工から大工まで手がけられる。気が合いそうなのは同じく大工仕事が好きだからか。 また、藤森照信氏は、僕の文化庁在外研修の二次審査のときの選考委員でもあったから、不思議な因縁だ。 床はないが、コーナーにうがたれたニッチが効果的だ。 内装は土佐漆喰を主とした左官仕上げ。炉がわりの円形の凹みに花が浮かべてある。 藤森氏は、アフリカの土着的な民家やモスクをデザインソースにしながら、近代工法を自然素材でおおって見せるのがうまい。アフリカに行って藤森建築のボキャブラリーの由来がわかった。 アーチは、ル・コルビュジエの落選したソビエトパレス案からとったというが、それは後付けの説明で、たぶん茶室を見るためのアーチがほしかったのではないか。藤森先生は、構造や素材より、意匠の人なのだ。 #
by peuleu2
| 2008-11-28 10:53
| 観察
2008年 11月 25日
キューピーが泣いていた。 10年ほど前に、《眠りのレッスン》という作品の一部にキューピー人形を使ったことがある。 まぶたを描いて、半睡状態に見えるようにした。 その眠そうな顔つきが気に入ったので、その写真を僕のホームページのトップに使っていた。 その最初のホームページは、例によって更新をあまりすることなく廃墟化したが、キューピーの顔写真の載ったトップページのみ、印刷して研究室の壁に貼った。 そのプリントは、もう数年近く、流しの横の収納棚の壁面にずっと貼ってあったのだが、ある日、なにげなくその写真を見て、驚いた。 写真のキューピーの左目に大粒の涙が流れていたのだ。 ぐうぜん流しの水滴がかかったのだろうか。それとも学生のいたずらだろうか。 理由はわからないが、キューピーは泣いているのだ。 何か暗示的な気がする。。。 #
by peuleu2
| 2008-11-25 18:51
| 観察
2008年 11月 08日
夕方の「京いちにち」という地域向けTV番組で、京都のいい場所を訪問紹介するコーナーがあって、西京区がとりあげられたのだった。 高速道路建設で壊される運命にある大藪さんのお宅の古い土塀を、同じ原始的な練り土積みの工法で延長する作業を、この10月から学生たち数人と続けている(*)。 土練りの作業が追いつかないので、取材の日もいつもと同様、芸大内の片隅で土練りブロックづくりを行うつもりだった。ところが当日、いつのまにか学生たちは土ブロックを現場に運んでしまっていた。 NHKにとってはその方がいい絵が撮れるので、都合がいいだろう。僕はマスコミ嫌いなので、取材があるからといって、サービス対応する気がまったくなかったが、学生の方が気が利くということだろうか。 インタビュアーはNHK京都放送局の楠井まどかさん。丸顔のかしこくかわいい女性だった。受け答えに自信がないので、OAP監修者の西小路敏さんにも来ていただいた。 放送は、昨日11月7日にあったようだ。 録画で見てみると、やはりというか、大枝アートプロジェクトのきっかけになった高速道路建設に触れた部分は、ことごとくカットされていた。西小路さんが地域や道路計画について語った卓見も削除されていた。 NHKだから、特定の主義主張に加担できないとか、夕方6時台の家庭向け番組に社会批判的な色彩を出してはいけないとか、それはわからないでもないが、プロジェクトの根拠がまったく紹介もされないと、やっていることがスカスカに見えてしまう。 一般視聴者にわかりやすく、というマスコミの至上命題。 プロデューサーは、大阪芸大の映像を出て3年の若い青年だったが、生まれ変わっても僕にはぜったいマスコミの仕事はできないだろうなと思う。 救いは、わざわざ上の池まで柿を持ってきて、TVに登場しようとする学生たちの健全な顕示欲と、インタビュアーのまどかさん自身が、「みどりの停留所」を届けてくれたことかな。 #
by peuleu2
| 2008-11-08 11:35
| 観察
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